重久盛一酢醸造場





福山の地に黒酢酢が伝えられたのは文政三年、今から約二百年も前のことといいます。このカメ壺による醸造法は酒でいえば原酒に相当する純粋の自然食酢で、国税局の免許が必要です。       

                      




現在カメ壺の数は約12000個。仕込みから製品まで約
一年かかるので、なかなか量産は困難です。      





ビン詰め等合理化できる部分は合理化されています。


天 覧 出 品

福山酢は昭和三〇年頃には酢の不振から醸造業者が次々に姿を消しました。彼らはもう福山酢の作られることは永久にないだろうと見切りをつけたといいます。その後国内の経済が安定し、高度成長期を迎えると急速にその需要が伸び始めました。中でも昭和47年の鹿児島太陽国体の折り、天皇・皇后両陛下の行幸啓に県文化センターで開かれた県特産の物産展に天覧出品をして並べられた中に、福山の重久盛一酢醸造場の黒酢が選ばれ天覧目録第十二号として展示の栄誉に浴することができました。また、これを機会に黒酢の科学的分析で食酢としての価値が証明され、一躍自然食酢としてクローズアップされるに至りました。



会社名 有限会社 重久盛一酢醸造場
代表取締役 重久盛哉
所在地 鹿児島県姶良郡福山町福山2246番地1
会社概要 雄大な桜島を正面に錦江湾の中央に位置し、温暖な気候条件の中で昔ながらの製法を用いた玄米黒酢を主とした食酢全般の製造販売。現在、自然食ブームの中で、天然食酢として全国に販売している
創 業 江戸時代(文政年間)
昭和33年 重久盛一商店設立
国税局加治木税務署 もろみ製造免許第315号として認可
昭和47年 鹿児島太陽国体において、天皇、皇后両陛下行幸啓の折り、鹿児島文化センターで開かれた県特産の物産展に、当店玄米黒酢が天覧目録12号として出展の栄誉に浴した
昭和58年 有限会社 重久盛一酢醸造場設立
国税局加治木税務署 もろみ製造免許28間第164号として認可
平成3年 玄米黒酢が農林水産省認可のふるさと認証食品として全国第一号の指定を受ける


福山町の近代歴史

・1561年 永禄4年島津忠将戦死、この地を福山に改名
・1779年 桜島大噴火
・1871年 明治4年  都城県福山郷になる
・1889年 明治22年 福山郷が福山町になる
・1929年 昭和4年  町制施行 現在の形に


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